ゾンビランドサガとイノベーション(革新)の話


2019年 1月27日
 
 
 こ~~~んちわわわ、エンジェルメーカーざんすぅ~。

 まあなんか少しの人に覗いていただいている様なので、嬉しいようなこのままで良いのか複雑な気分でありんすぅ。

 そんなこんなで、なんと今月も忙しくて描いてるヒマ無いやがったので、今月は面白いアニメをひさしぶりに発掘しやがりんしたので、それを題材に作家論の話をしたいと思います。

 7日じゃないけど今月はネタも無かったので早めに出します。

 僕はアニメマニアと言う程には関心が無い人だけど、今回始めてブログに書こうと思ったくらいには面白い作品を見つけた。
 
 

 ゾンビランドサガ

(ネタバレするので、見てない人はこれを読む前に一度見てみる事を推奨します)

 まあ後で調べたら2018年、年間賞だとかで「覇権」とか言われてたけど、僕は興味ないんで後からへえと思ったけど、まあそれくらいにはすごい作品なんじゃないでしょうか。

 というか思うに、10年もアニメ見てなかったしその間には面白い作品もあったんでしょうけど、まあ僕にサッパリ実力が無いのにいっちゃあ悪いけど、この作品がトップなくらいには他の作品が駄作ばかりなんだとは思うのね(後で分かったけど 2018年は割と豊作だったようです)

 それで面白い作品を作ると言う事は、じゃあどう言う事なのか、というのを今回はこの作品を題材に話してみたい。
 
 

 まずこの作品でおおっ、と思ったのは「引きの強さ」なのね。
 
 
 まあ始めはこんな感じで

 まあいつもの萌ぽよ日常系かあ、あ~はいはい、まあヒマだし流してみるかなあという感じだったんだけど。
 
 
 なんと

 玄関あけたら 2分で

 ドーン

 て感じで、ええええええええ!!!!で爆笑してしまった。
 
 
 しかもこのシーン、オープニングなんだけど

 この間ずっとゾンビシャウトとデスメタル。

 これは衝撃だったよねえ(笑)

 「こんなの始めて見た」
 
 
 いやあ、これを悪く言う人は「出落ちだけの作品」と言うんだけどね、僕が思うにこのくらいの引きの工夫もしない凡作が多すぎると思うんだよね。

 作品の中には後半段々面白くなるんだけど前半とか 1話 2話が決定的に面白くない作品とか、展開部分から面白いのに導入部分が面白くない作品とか沢山あるんだけど、もったいないよね。

 現代ではみんな忙しいから、始めに面白くなかったら、つまり「つかみ」が無かったら「速攻切られる」よね、視聴をね。

 だから作家論として、この始めの 5分だとか 1、2ページだとか 1話 2話で視聴者をグッと引きこむという要素は重要だと思うし、マンガの教科書に書いてある事です。

 だから僕のこのブログにマンガ 1ページ描いたけど、これ「ダメだなあ」とは思ってるのよ、ドアから人が入ってという入りが当たり前すぎていけません、本当は何かの事件があった所から描かないといけないと思うのね。

 そこで、マンガの教科書にも書いてある事なんだけど、もう 20年も前からストーリー的には飽和してしまっていて、手塚治虫の言った「起承転結」ではダメで「転起承結」つまりアクションから入れとか、テクニックとしてはね、いかに始めから観客を飽きさせないか工夫しなさいとは言われてるのね。

 だからそういう工夫をしてる作品は多いと思うけど、まだ当たり前に凡庸な起から話を始めてる作品も多いと思う。

 絶対にそうしろという事じゃなくて、要は面白いか面白くないか。
 
 
 ゾンビランドサガでは何とこの後、死んでゾンビから話しが始まるので、まあ「エンドスタート」?、言葉の意味は僕はよく分からないんだけど死んでスタートという事だけじゃなくて、最終回的な所からスタートとか、そんなのが面白かったりするのかもしれません。

 というのはつまり、もうみんな「そこまでの話は何回もみてるからさあ」って事になってるんじゃないかとは思うね。

 その昔「パタリロ」というマンガで、主人公のパタリロが「最初をちょっと見ただけでオチまで見えてしまう」という奇病にかかる話があったんだけど、最初の一言を聞いただけで話の展開とオチが分ってしまうというギャグ話ね。

 でもこんなのは意外と作家というかプロの人は大体そうだと思うのね、それは沢山色々なものを見てるからね、将棋や囲碁の定石と同じで、こんな話なら大体こんな展開でこんな終わりになるだろうな、というのは見えてしまう。

 ちなみに僕もこのゾンビランドサガの 2期があったとして、まあゾンビとアイドルと言う要素なら、大体こんな終わりかたかなあ、というのは予想が付いてしまう。

 だからプロの人ってのは、いつも常に「いかに読者、視聴者の予想を裏切るか、読めない話しの展開とオチを用意するか、まだ誰も見たことのないものを提供できるか」で悩んでせめいで苦しんでるはずだと思います、たぶんね。
 
 
 
 作家論として重要な話をしたいと思う。

 「人はまだみた事の無いものを見たがり、まだ経験した事のない事を経験したがる」という事だ。

 これを経済用語で言うと、収穫逓減の法則(飽きる)とイノベーション(新しいものを作る)と言う。

 これは新しさとかオリジナリティとかいう話だけど、結構重要な要素だと僕は思う、巷の凡作、駄作というのは要は「みた事ある」枠内の作品である事が多い、別名「二番煎じ」

 すごいとか面白いとか言われるのは、やっぱり見た事の無い新しい要素のある作品である事が多いかなとは思う、オピニオンとか元祖とか呼ばれる奴だ。

 例えばエヴァは衝撃的だったけど、その後のアニメにこのテイストの焼き直し作品が山のように量産されて、そういう作品に限ってほんとつまらんかった。
 
 
 
 さて、ゾンビランドサガ、なんとこの作品、

 生前よりも

 ゾンビ後の方がカワイイのだ

 いやあ、さすがにこんなのは「始めてみた」

 ゾンビネタなんて文字通り腐るほどあるけど、ゾンビをカワイイととらえて主役にしたのは新しかったのではないかと思うのね。

 無くはなかったとは思うけど、まあグレゴリーホラーショーとか、日本のアニメのゾンビものもあるけどリアルホラー系のものが多くて、まあアングラだし僕はあんまり好きじゃ無い。

 この作品のゾンビは、たぶん子供寄りにしてカワイく描いてるんだと思うけど、そういう発想の作品って僕は見た事が無い、有りそうで無かったかな、ちなみに僕はカワイイものが好きな人。

 ゾンビでギャグホラーと言うのも、無くは無いんだろけど思いあたらないねえ。

 この辺が革新的と言うか、新しい発想だったのではないかと思うんだよね。

 まあ wikiによると「他の作品でカワイイゾンビが出てたので、それを題材にできないか」という所から出発したんだとか。

 そして、ゾンビアイドルという普通に考えたら真逆な要素も初めてだったと思う、あるかもしれないが僕は知らない、アメリカ映画では女性ゾンビが主役のギャグホラー的なものもあるみたい。

 たぶん思うに、この作品以降、カワイイゾンビ系含めて、学園ゾンビ(見た事は無いけどすでに学園暮らしとかいう作品があるらしい)だとか自衛隊ゾンビだとか色々なゾンビが出てくるんじゃ無いかと予想するのよ、その程度にはオピニオン的な発想の作品じゃなかったかとは思うのね、まあ僕はゾンビ自体はそんなに好きじゃ無いけどね。

 ニコニコのコメントにも「日本から新しいゾンビの形が生まれていく」というのがあったけど、そんな感じなんじゃないのかな。
 
 
 
 「よくこんな企画通ったな」くらじゃないと面白くない。

 しかしそういう奇抜な発想のものって、実力が無いと盛大にコケる可能性がある。

 だから新しいものを作る人って必ず技術的には一流の人だったりして、そもそも余程技術力が無いと新しいものなんて作れないんだとも思う。

 マーケティング(需要)的に言っても、誰も作った事の無いものがウケるかどうかなんて分かりっこ無い、だから企画会議では無難に「今流行ってるもの」の企画を経営者は通したがり新しいものに挑戦したがらない。

 これは企業の重役会議も同じ事で、そんなもの売れるか、と言うのは企画に通らないし、逆にそういうもので無いと化けないんだと思うのね。

 人がやってる事を同じようにやっても全く目立ちませんからね、そもそもそれがある意味が無いんだと思うのね。

 作家というのは常に「こういうの書きたい」「ダメ、今こういうのウケるからこういうの書いて」という間でせめいでるんだと思うのね。

 これは難しい問題で「作り手に思い入れが無いと面白くならない」というのと「なら作家の独断に任せると自分よがりなだけでコケる」というものと両方の要素があると思うので、どちらが正しいとも言えないかもしれない、バランスかなあ。

 まあ、ようするに「いちかばちか、というようなもので無いと当たらない、新しくない、面白くない」という感じにはなるんだと思う。

 逆にそういうものって「全くウケない」可能性もあるし例もある。

 この作品もゾンビとアイドルだけでは企画が通らなくて、佐賀県という要素を入れて初めて OKが出たそうだ。

 たしかに佐賀県の要素が入ることで物語りに厚みが出たと思うし、ゾンビ + アイドルだけでは要素薄で難しかったかもしれないね。
 
 
 
 新しいものを作るのに必要なのは実力だという話をします。

 僕はこの作品どこかなつかしい感じがしたのね、何がという理由が良く分からないんだけど、どっかでみた事あるようなという感じ、主人公のさくらちゃんとか見てるとなぜかそんな感じがした。

 まあ他にも、始めに方言を聞いた時はうる星やつらのラムちゃんかと思ったし、拠点の屋敷は怪物君の怪物屋敷を連想させるし、チーム名のドラミ、コロスケもだし、昭和アイドルネタもだけど、これ作ってる監督の方ってわりと年配の方なのかなあと。

 僕はマニアじゃないし、めんどくさいのでわざわざ監督がどんな人かとか調べたりしないんで分からないんだけどね。

 この作品はわりと好きな人と嫌いな人で分かれてるらしくて、ギャグが全く面白くない、という人もいるんだけど、だから案外年代による差なのかもしれないなあと、動物を擬人化したアニメが流行ってたようだけど、なんか 30代や 40代に受けてたんだそうで、はぁ今はそんな年代の人に受けるアニメでもいけるのか、と思ったけどね。

 さて、そこで僕がこのアニメを見てうなっていたのは「話の作りのうまさ」なのね。

 引きの意外性と強さ、ギャグの面白さ、テンポの良さ、ライブの演出の上手さとか「う~む、これは玄人じゃないと出来ないよなあ」と思って見てたのよね、だから嫌いな人は出落ちだけの作品と言うけど、僕はそうじゃなくてわりと年配の余程玄人の人の仕事じゃないかなあと思って感心して見てました。

 有名な人だったらごめんね。

 ちなみに巽幸太郎が嫌だ、という人が結構いるみたいだけど、僕が思うにこれは主人公と同じ年代の女の子にとってはバカにされたり怒鳴ったりされるのはちょっと怖いんじゃないかと思うけどね、僕にはとても笑えるんだけどね、ボケーッて突っ込まれてえーって時のさくらがとてもかわいいんだけどね、この辺も 2分してるみたい。
 
 
 僕はブルースブラザーズみたなミユージカルものが好きなんだけど、この作品の歌ってる場面での音楽と演出は見事だね。

 音楽と演出とその回のテーマが一体となった見事な演出、これは結構難しい事なんじゃないかと思うんだけどね、ディズニーなら音楽を先に作ってそれに合わせてアニメを作ったりしたんだけど、これはどうやって作ってるんだろうねえ(先に歌の部分を収録したようです)

 1話のゾンビメタル、2話のゾンビラップ、7話の落雷ライブ、最終話のライブも、ほんとに話と演出と音楽を実にうまくマッチさせている、これはすごいんじゃないのかな。

 音楽作ってる人も余程の人だと思うけど、1話のメタルでもシャウトするだけで音楽性もあるとか目から鱗だし、2話のシャミ線ラップとそのアップテンポアレンジも見事だし、落雷で声がパヒューム?みたいになる音楽演出もすごいよね、発想も音楽性もね。

 監督は音楽担当の人を「メタルが作れる人なので起用した」と wikiに書いてあったけど、やっぱり音楽の人も玄人っぽい感じを受けた、まあオープニングの曲とかちょっとなつかしい感じもするしね(曲担当は複数人いるみたいだけど)

 後作画については、まあたぶんだけどあのカワイイゾンビを創った人が中心でやってるのかな?(キャラデザの人は元々萌え絵は描かない人だったそうです)、作画は綺麗だしこの辺は「最先端」なんだとは思うけどね(僕は詳しくないのでよく分かりません。萌えキラキラアイドルなら他の作品の方が綺麗なんじゃないのかな)

 こんなカットよく描けるなあと思って感心したんだけど、こんな微妙なカットは玄人じゃないと描けないよなあとは思うんだけど、鬱屈さを出すためにあおりをつかってるのね、それにポテチの説得力、これは玄人のテクニックだよねえ、この作品では表情とか仕草もわりと良いんだろうか、普段はそこまで意識して見てないからなあ。

 殺陣(たて)というかフリ(踊り)も良いんじゃないのかな、1話のジャンプとか 3話でたえちゃんが横に(縦に?)クルッと回ってる所とか、7話でフォーローに入った純子のキックとか。

 まあ少なくとも作画に思い入れがあるんだとは思うけどね、どんなもんでしょう。
 
 
 そんな訳なので、決して出落ちだけではなくて中身があるから受けてるんだと思うし、やっぱりオピニオンな作品は技術力というか実力がないとそうそうできないと思うのね。
 
 
 それで、この作品は「きちんと作ってる」とは思うのね、どう言う事かと言うと「パンツとか水着とか風呂シーンとか描いてない」(笑)

 まあ温泉はあったけど、いやらしい表現どころか、首の取れた水死体が浮くという(笑)いうてもゾンビだしなあ。

 放送時間帯にも拠るんだとは思うんだけど、やたらパンツ描いたり水着回作ったりして視聴者に媚びてるのかな?そんなのは作り手がいい加減に作ってるからだとしか、まあ色々事情があるんだろうし、するなとは言わないけど、本当に作品に思い入れがあって「こういう事を伝えたい」って作品だとそんなもの描いてるヒマとか無いんじゃないかとは思うのね。

 「ごちうさ」とか人気があるらしいけど、なんか水着で水鉄砲を撃ってるだけの意味の無い話しがあって「気持ち悪いしアホか」と思ってそこで見るのやめたんだけどね、そういう作品ってだからと言って特に中身もなにも無いんだよね。
 キャラはかわいいけどね。

 まあなんだ「パンツとか水着とか描きたいんじゃあーーー!」って感じの思い入れがあってなにかやるんなら、まあまた別の意見もあるんじゃ無いかとは思うのね、なんかただ媚びてるだけの感じのものは面白くも無いし「きちんと作ってない」と僕は思うけどね。

 なのでこの作品は一見色物っぽいんだけど、実は割りときちんと作ってるんじゃないかと、まあ思ったりはする。
 
 
 
 後シナリオについて少し。

 これ、アニメオリジナルなのね「よくやった!アッパレ!」と思うのよ。

 アニメオリジナルが弱いのは、どうしてもシナリオがマンガ原作やラノベ原作に劣るからだと思うんだけど、本当はアニメの良さを引き出せるのはアニメ家だと思うんだよね。

 それはマンガ原作なら「紙芝居」になりがちだし、ラノベ原作だと「作画に思い入れが入り難い」んじゃないかと思ったりもするんだけど、動画としての作品の良さ、アニメの良さを一番引き出せるのはアニメ家がアニメを作った時だと思うのね。

 そんなような事を宮崎駿監督も言ってた。

 とにかくこの作品のようにシナリオをもっと練ればアニメオリジナルでも良いんだとは思う、というか本当はアニメオリジナルにもっとがんばって欲しいとは思うんだけどね。

 シナリオ革命してくださいって感じかなあ、めいっぱいだとは思うけどね、革新となれば別かなあ。

 だからこの作品も革新があったんだと思うんだよね、ちょっとでもね。
 
 
 この作品だと 1話 2話は目新しさとテンポの良さで面白い、3話はアイドルの話になるのでダウンする、ここで視聴を切ったという人も多いらしい、つまり僕もだけどアイドルものは巷に沢山あるし、まあたぶん女性じゃないと面白く無いのかもしれない。

 ただし、このアニメのテーマは「死んでるゾンビを題材に、本当に生きるという事を逆説的に描く」というような事らしいので、そこは別にアイドルで無くても良かったんだとは思うけど、まあ輝くくらいまで生きるという事を言うには良い題材なのかな?

 4話 5話はご当地ネタが入るので退屈しない、ドラ鳥とか「ほお佐賀にはそんなものがあるのかあ」って感じでこれも「人は見たことの無い物を面白がる」という事で退屈しない、逆にアイドルはありふれてるからね。

 マンガの教科書に書いてある事なんだけど、例えば「アリスネタ」は余程斬新な切り口で新しくみせないと陳腐すぎて使えないと、逆に難しい題材なんだってさ。

 7話はたぶん小クライマックスとして計算して作ってあるんだと思うけど、ライブ演出が素晴らしくて伝説の始まりでしょうね。

 8話 9話あたりはよく出来てると思うけど、わりとよくある話なのかなあ。

 最終回は文句なく「テーマと題材を活かしきった伝説の最終回」で良いかな(笑)
 
 
 後はゾンビネタのゾンビギャグが笑えたんだけど、アンデッドパワーとか「頭腐ってんのか」とか「バリケード作るのはゾンビーに襲われる側じゃい、ボケー!」とか「踊らないゾンビはただのソンビだ」とか。

 こういうのって初めてなので意表を突かれて面白かったりするんだけど 2度は無いと思うのね、例えば「踊らないゾンビは(飛ばない豚は)」ってネタはありふれてるからゾンビじゃなかったら寒いだろうと思うのね、そんなのも「新しいものが面白がられる」例だと思う。
 
 
 それと前にも言った事だけど、どうしてもアニメのシナリオってパターンから出ないというか、

 屋敷から始まって

 屋敷で終わるというね

 これはドラえもんもそうだけど、のび太の部屋から始まってのび太の部屋で終わるのね、映画ですらそう。

 まあ設定も大変なんだとは思うけど、シナリオは大事だと思いますしパターンなのはアニメシナリオの一つの弱点かなあ、とは思う、これもこだわってパターンにするとか言うならまた違うんだろうとは思うんだけどね。
 
 
 最後にゾンビネタと言うか斬新なものにはどうしても付いて回るのかもしれないけど、ゾンビであるゆえの弱点というか、どうしても「かわいそう」というのはあると思うのね。

 まあ跳ねられるシーンでもう、かわいそうだなあとは思う訳だけど、そもそもゾンビという時点でバッドエンド確定な訳で、それは最後には「朽ちて果てる」と言う事が分かってるからねえ(笑)どうしてもかわいそうな所はあるよね、そのへん着地点をどうするんだろうねえ、ははは。
 
 
 
 そんなこんなで今回は初めてアニメの紹介なんぞしてみました、いかがだったでしょうか。

 え?こんなの書くなら絵を描け、そりゃごもっとも・・・。
 
 

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