アニメを見た感想と、それを元に作家論の話しなど


2018年 9月7日
 
 
 いやっハロー!

 って言ったらオタク認定なんでしょうかね、ども、エンジェルメーカーです。
 
 
 いやあ暑かったねえ~、暑く暑くて溶けてましたけど、おかげで今月は何もできなかったので変わりにダラダラとネットで拾えるアニメなど見てました。

 そんな訳で今回は見たアニメを元に適当に作家論の話などしてみたいと思いますよん。
 
 
 まあ僕は歳だから流石にここ 10年アニメは見てなかったんだけど、もともとそんなに見るほうじゃ無くて、というのも幻想童話マンガなんてジャンルの参考になるような作品なんてほとんど無かったからねえ。

 ネットで拾えるものってたぶん人気があって、消しても消しても誰かが UPしてるものだと思うのね。

 だからそこそこ面白いものが残ってるか、逆に権利者が投げて消してないものか 2極のような気がするんだけど、作家論的にまず思うのは「ラノベ原作が多い」という事なんだけど、なぜだと思います?

 シナリオがそれなりに複雑で面白いからね、複雑というよりは今まで誰も使わなかったとりあえず斬新な設定や切り口という程度で、ほんとうはそんなにちゃんと練ったものでも奥の深いものでも無いんだろうけど、まあこれは名前通りライトノベルだからねえ。

 しかしねえ、逆に言うとその程度さえ一般のアニメよりシナリオが複雑で面白いと思われてるのが問題だと思うので、それなら一般のアニメのシナリオってどのくらいダメなのさ、という事になるね。

 マンガ、アニメ、映画、小説、ゲーム、クリエイターの作ってるものって多分本当は全部「神話かおとぎ話、お話し」だと思うのね。

 つまりは「物語り」というのが核であり、人から人へ、まあ「大人から子供へ」なんだけど、世界に出る予備学習として何を伝えたいのか、伝えるのか、というのが基本だと思うのね。

 という訳で作家論の一つ目「本当はシナリオが一番大事」これを言ってみたい。

 平成のライダーシリーズ、これの始めは「くうが」という名前だったと思うけど、平成ライダーの始めとしてとてもヒットしたと思う。

 僕は歳だから見ては無かったけど、革新的で結構すごかったと思う。

 それから平成のウルトラマンは「ティガ」だっけ?光の巨人の。

 これも平成のウルトラマンシリーズの始めとして結構人気が出てたと思う。

 両者に共通するのは「それまでに無い斬新で複雑な設定とシナリオ」だったと思うのね。

 そもそもアニメの始めって手塚治虫先生の始めた一週間 30分枠だったのだけど、当時製作が間に合わなくて大変で「セル画バンク」だったっけ、要するに「使いまわし」なんだけど、例えば変身シーンだとか必殺技のシーンを一度作ったらシリーズ中はそれを必ず毎回入れると言う事で、製作の負担を減らしたり、という事があったと思うのね。

 そうするとどうなるかと言うと、毎回パターンになって、その回の話しはその回で終わり、という事になったんじゃないかと。

 比べてラノベ、つまり小説だと話しがパターンになる方が難しくて、毎回々世界も人物も連続的に変化して行くものだと思うから、例えばドラえもんのいつまでも同じ日常のパターンから変わる事が無い、という世界とは逆になってくると思うのね。

 だから子供だましになりにくくて面白いんじゃ無いかと僕は思うのね。

 ハリウッド映画のシナリオってものすごくお金がかかってるし、良い映画になるかどうかは良いシナリオを得られるかどうかってくらいで、制作費に対するシナリオの割合がたぶん結構あると思うし、アメリカのシナリオライターも結構な地位と尊敬を集めているのかなと思う、よく知らんけどね。

 返って日本のアニメや映画ってシナリオにそこまで気を使って無い感じで、ビジュアルとか作画とか俳優とか声優とか、そんなのって言っちゃうと失礼だけど、まあそんなのばかり気にしてお話しがスカスカでちっとも面白くない、という事が多い感じがする訳です。

 逆の例で、例えば「金田一少年の事件簿」でしたっけ?、その人気マンガはシナリオを何十人かでアイデアを出し合って練っていたそうです。

 昔バブルの頃 OVAつまりオリジナルビデオアニメってのがあったんだけど、作画ばかりにこだわってシナリオが「?」って作品が結構多くて、そういうのはやっぱりつまんないんだよね、ネタとしては笑って見られるんだけどね。
 
 
 
 んじゃあ次。

 「ハーレムものの木偶の坊(でくのぼう)主人公ってサイテー」って事なんだけど。

 まあとにかくどの作品もどの作品もハーレムものが多くて、主人公が「地味で無能で主張も無い」というのが多い。

 これはつまらないよね、しらける。

 まず、これは男性ものでも女性ものでもそうなんだけど「なんでこんなダサイ、カワイクナイ主人公が何の理由も無く異性に言い寄られるのか」という時点でリアリティが無くてしらける。

 「あなたみたいに私を、俺を見たのは初めてだ」あ~そうですか、その程度の人なら掃いて捨てるほどいるでしょうに。

 僕は男性だけどね~、主人公がカッコ良くないとやっぱりなんかねえ、現実のモテ無い一般のモッサリ君、これは僕もだけどさあ、そういうのを主人公にしてる事が多い感じなんだけどオタク向けに作ってるからなのか?

 まずもうそんな容姿で学園のアイドル級に何人も言い寄られるとかアホかと。

 それと「自分からは何のリアクションもしない」てのが多くて、ほんとイライラする。

 全部異性からのアプローチや行動まかせで、「おいそこはちょっと何か言えよ」って主人公ね、こんなの主人公じゃ無いよね。

 だいたいなんでこんな事になってるのかと言うと、僕が思うにたぶん「エロゲの影響」じゃないのかな。

 エロゲ、というかそもそもゲームだと「主人公は遊び手が操作するのであえて何のセリフも言わない」とかそんなのあるし、それこそエロゲなら複数のヒロインを落とせればそれで良いわけなのであって、確かに操作する主人公になんらかの主張とか個性とかあっても意味無いのかもしれない。

 どうにもハーレムものって、その辺のエロゲ文化の逆輸入のような感じがして、まあアニメというか物語としてはどうなんでしょうか、という気がしましたね。

 その点、おそらくネットで一番人気があると思われた「やはり俺の青春ラブコメは間違ってるのだろうか」でしたっけ?

 この作品が面白いのは主人公に個性と主張があるからでしょうね。

 「読み手というのは主人公をを通して感情移入するというか主人公が読み手の分身というか、主人公を通して仮想体験を追体験する訳なので、そもそも主人公の活躍しない話しは面白くない」というの、こんなの作家論のいろはのいだと思いますけどね。

 逆に言うと活躍するから主人公なのであって、それは別に容姿でも能力でも主張でもなんでも良いんだけど主体的に活躍をしないのであれば、主人公でも物語でもありません、原則はそうだと僕は思いますけどね。

 だからあえて狙ってやってるのでも無い限り、こんなのタブー破りだと僕は思うんだけどね。

 とにかく地味で無能で無個性な主人公が多すぎる感じがしますし、そういうのはサイテーだと僕は思いました。

 まあハーレムものの人形主人公の事を言ってるのであって、必ずしもアグレッシブであると言う事ではないのよ。

 例えば「森田さんは無口」が僕は結構良かったんだけど、主人公は無口でほとんどしゃべらないのね、でも個性があるからお話としては面白いし、まあよくあんなしゃべらない話しを面白くできるもんだと関心しましたけど、個性があって主張や行動にメリハリがある訳です。
 
 
 
 書ける事はまだ沢山あるんだけど、とりあえず長くなるので 3つ目で最後にするよん。

 色々見たんだけど僕が一番好きだったのは「ミカグラ学園組曲」とかいうマイナーなアニメ。

 別に話しはそんなに面白くないし、キャラデザもそんなに魅力的でも無い。

 でも主人公が明るくて元気でバカ、学園をひっかきまわすんだけど気持ちが良かった。

 なぜかというと実は作家論的に言うと「その作品から読み手が受ける印象や受け取るものは、ただ主人公の動機による」というのが僕の持論なのね。

 動機というのは主人公が何を考え目指して、何をサブキャラや世界にアクションするか、という事。

 僕は作品とはほとんどそれで決まるものと思ってる、それくらい主人公の動機というのは大事だと思う。

 つまりね、ミカグラの主人公は「周りの人に元気になってもらおう(じゃ無くて人が好きなのかな?)」とかなんとかそんな動機だと思うんだけど、それが作品のあたたかい印象になってると思うのね。

 この作品を間単に分類すると「友達100人できるかな」という事だと思うけどねえ、中学高校くらいの子供の頃には当たり前のようにそんな明るい世界があるように思うけど、僕らの歳になるとねえ、こんな友情友愛の世界は希少だからねえ(笑)

 だからたぶん若い人には当たり前すぎて「子供だまし」に見えるんじゃないかと思うけどね、歳とると逆にこんな明るい世界は貴重な世界だと思うのね。

 まあとにかく、主人公の動機がその作品そのものだという事でね、例えば「暗殺教室」なんてのも話しは面白かったけど、どうにも暗殺という動機が作品を暗いほうへ引っ張ってしまうような気がして、途中で止めましたけどね。

 まあ例えばプロの殺し屋から激励されたりするシーンもありましたけど「殺しを肯定するのはちょっとねえ、貴方本当の暗殺家業の人の心の闇を知ってますか」と言う事で、暗殺をキラキラと描くとか止めてください、と思いましたね。

 主人公はどうしても暗殺を肯定して成長しないといけない訳で、それはちょっとどうなんだろうかと思ってしまうよ、人殺しの肯定とかどうしても暗くなってしまう感じがしてね。

 例えば俺ガイルなんかも主人公が「根暗」なのでね、やっぱり現実には根暗はダメなんですよ、お話しの中では良いとしても生きてる人間がそれをマネしたらやっぱり良くないですよ。

 だから主人公が自分を傷つける事によって他人の問題を解決しますけど、どこかいまいち被害者というか傷つく人が出ていたり、ヒロインから「貴方が傷つくのを見てられない」と言われたりで、自傷というのは自分だけの問題では無くなるのが現実なのであって、それは親類縁者がいますからね、自傷してる人を見て傷ついたり悲しんだりする人がだいたい他に必ずいるので、現実には根暗(自己否定)はダメですよ。

 自分が沈む事によって回りも引きずられて沈む事になるからです、結局は迷惑になるんですよ(ソースはオレ、というか僕はモロに読書好きで人が苦手なこの主人公のタイプの人間、感情的になるのが嫌で知性的に物事を把握しようとするタイプなんだよね、よく分かる)

 例えばヒロインのアプローチを拒絶したりしますけど、これも自己認証が低いからとは言えるんでしょうけど、それだと本人だけでなくアプローチした人、つまりその人に関わった人も暗い気持ちになるというか、嫌な思いをしますからね、現実にはね、根暗より根明(というよりある程度の自己重要感、肯定感、自尊心とか)を目指さないとどうしようも無い事もあると思うんですよ。

 だから俺ガイルは面白くはあってもいまいち「胃が痛い」というか、それは主人公の動機がそんなによく無いからね。

 もちろん「人のためになろう」という動機がプラスになってるから心地よさもあるんだと思いますけどね。

 まあ作家論的に言えば「そういう作品じゃないと読む価値が無い」というか、色々な人生を追体験できるから勉強になったり面白かったり慰めになったり気晴らしになったり、よく分からないけど俺ガイルの元の元ネタなら夏目漱石あたりなんだろうか?

 葛藤する青年というのは文学になりえるんだと思うので、作家論的に悪いと言ってる訳では無いのね、芸術と言うのは「神々の黄昏」というか、斜陽な所、秋の西日、滅びの美学というか、音楽でも長調より短調のほうがドラマチックで味わい深い作品ができたりと、そういう事もあったり色々だと思うので否定している訳ではありませんけどね。

 まあここで言ってるのは、例えば滅びの悲劇だったとしても主人公の動機というのは選べるのではないかと、それが作品の印象や価値になるのではないかと言ってる訳です。
 
 
 
 ミカグラ学園のテーマの一つが「面白ければ(楽しければだっけ?)面白いほど力が出る、力が増す」という事だったんだと思うけど、これはアーティストの考え方なんだろうね、才能のある。

 いやあこんなに才能があって描く事が楽しかったらどんなに良いだろうと思って、やっぱりその世界の人はそうなのか、と思ったり、芸術家の心とはそうなのかなあ、と思ったり感心しましたね。

 バトルとして表現してはいるけど、体育会系の部活は無かったりと、ワクワクするクリエイターの創作活動はそのものなんだろうねえ、いやあ才能のある人はうらやましいねえ、ははは、勉強になりました。

 というような感じで、今回見たアニメの中では作品としてミカグラ学園組曲が一番好きでした。
 
 
 
 もう一つ余談だけど、最近のアニメって随分と「引き篭もり」の話しが多くなったなあ、と思いましたね。

 合わせて読書ばかりしている、というキャラの多いこと。

 僕が思うにそんなキャラでも話しが成立するほど、昔よりアニメの表現力(リアリティ?)が増したんだとは思うんですけどね。
 
 
 まあそんな感じです。
 
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。